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Icebreaker
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日々のちょっとした絵の格納庫です。余計な話もたまにします。

カテゴリ「呟き」に属する投稿6件]

[英国王、アンドリューから王子の称号剥奪]
よかった、けど長かったなあ、とも思った。
ほぼ黒という状況だし、今更こうしてもなくなった方の命は戻ってこない。でもひとまず、ではあった。
あと
[オランダ総選挙で中道リベラル政党が第一党に]
オランダの政治に明るくないので、中道リベラルとは言えどどういう政党なのかまだわかっていない。けど、極右政党を後退させ、実質ポピュリズムに勝ったというのは良いニュース。

ポピュリズムに陥り、所謂ネット右翼(右翼ではない)みたいな勢力がのさばっているのは日本のみならず、世界的な現象だと思う。主に所謂先進国において。
リベラルに対するバックラッシュというか、極端なリベラル(リベラルではない)の主張が行き過ぎた結果でもあったろうとも思う。
日本だけ見た感想でしかないけど、国内の極端な虹色リベラル(リベラルなのかなあ)層は、見ている限り殆どが押しつけがましい。この点においてネット右翼(右翼ではない)と大差ないと思っている。強いて言えば、ネット右翼ほどの攻撃性が無いというくらいだけど、これもどっこいどっこいか。結局右派女性と見るや馬鹿にした煽り方をする。どの勢力でもどんな状況でも女性は軽視される。そして「なぜそういう主張をするのか」という論拠も大して示さずに「理解しない方が悪い、これが正しい、これが先進的だ」という姿勢を崩そうとしない。

「理解しない方が悪い」というのは本当に駄目だと思う。
ネット右翼も、Wokeなリベラルも、オタクも、生成AI信奉者も。

なのでもう最近はトレンドヘアch.(美容室XENA)さんや、本物の外科医(北原大翔)さんの情報だけYoutubeでぼけーっと見ていた。そんな中だったので、この二つのニュースは少しだけホッとした。
欧米の流れはいずれ遅れて日本にも波及する。広まり具合の大小はわからないが。これを機に、舶来ものを鵜呑み状態で有難がるのをやめて、自分達の頭で吟味して思想を深めるとかまでやってほしいなと思う。

呟き

「教養」とはなにか。と聞かれたら「すぐには役立たない、学問の本質」だと答える。

Xを見ていたら「教養とは、社会の上層部と接続するためのもの」という風な解釈がされていた。それも教養の「効果」かもしれないが、教養の本質ではない。そして「知識」かもしれないが、それとも少し違う。

教養はまず知識を仕入れる事、そして自分の頭で咀嚼し、自分のものにする事。
知識を自分の思考として獲得できなければ、それは単に「知っているだけ」の状態である。子どもは知識を沢山吸収する。けれどその知識から発展する教えを実践し辛いのは、まだ精神性の基盤となる思考が未成熟だからだ。だから子どもは、世の中の道理を一通り知っていても、実行できない。成長していく過程で現実の問題として触れ合ったり、人と議論したり、自分の中で知識を検証したりしていく中で、漸く己の学としての教養になっていく。

教養は一度身についたら終わりなのではなく、終生学び続けて磨く事が出来る道具でもある。そして磨かれた道具としての教養は様々な局面で役に立つ時が来る。それは自らの行いを正すことであったり、人の本質を見抜くことであったりする。仮に富や成果に繋がらなかろうとも、必ず己の人生を豊かにする。
恩師の座右の銘、「無用の用」の言わんとするところもそうではなかろうか。

「社会の上層部」つまり上流階級とやらと接続するため、そして成功するためだと考えていると、足元をすくわれる。真に教養を身に着けていると、すり寄られているかどうかくらい見分けもつくからだ。「接続のため」という魂胆が見え透いてしまうと、相手から信用されない。信用されなければ深い付き合いにもなれない。
そのため、この考えのままであると、真に教養を身に着けている人間からは信用されないし、上辺の「教養」(=学歴や、ただの知識などのブランド)を持っているだけの、同レベルの人間とだけ付き合う事になる。そしてそういう人間も上層部には一定数居る、というだけだ。

「真理が我らを自由にする」という言葉もある。教養とは学問の本質であり、学問とは私達を自由にするものでもある。

呟き

美術系の専門教育を受けていないのもあって、私自身はトレースというもの自体忌避している。
というのも、小学生の頃私も見栄を張って絵を上手く見せようとして漫画の絵をトレースした事があった。すると早速皆に突っ込まれて恥ずかしい思いをした上、やっていてちっとも楽しくなかったので、そこで止めた。
何より、私が小さい頃から自分の絵で嫌いな部分が「動きが感じられない硬さ」にあったからだ。ただトレースしてしまうと、そこには硬さしか残らない。

一方、3Dのポージング人形をなぞるという手法がある。これに関して言えば権利問題はクリアされているので、フリー素材なり自前のモデルなりをなぞるのは問題ない。ただし、実際やっている人が現場にいた時、「こりゃだめだ」と思った。

基礎が無いと、人体のウェイトというものがわかっていない絵になりがちのだ。
きちんと基礎があり、殆どモデルを無視して、たたき台的に描く人はそうでもない。しかし、モデルに頼り切って描く人は、3DCG独特の違和感を二次元に修正して落とし込む事ができず、実在感がまるでない絵になってしまう。簡単に言えば、立体感が無くなる。

そして今回江口寿史氏の絵を見ていて思ったのが、手があまり描けていない事だった。
こんな事を言うのは気が引けるが、手抜き的にトレースする人と、生成AIは、手があまり上手に描けないという変な共通点があると感じた。

模写をする際、出来れば実物を見ながらがいいと言ったのはこれだ。
デフォルメ率がどうなろうと、基礎さえあれば現実味のある、重みを感じられる絵を描く事が出来る。しかし、模写の段階でこの基礎の立体感把握が出来ていないと、何の応用も効かなくなる。

それにしても、無断で他人を素材扱いするというのは一番駄目だと思った。

氏を擁護している人は「画力はある」「個性はある」と言う。
一定の画力は確かにあるだろう。けれど手など細部が描けていない点についてはどう弁明するのだろう。
個性はあるに決まっている。どう足掻いても人はそこから逃れたくても逃れられない宿命にある。そしてそれは技巧の高さとイコールではない。生まれたばかりの時から既に与えられたもの、それが個性だ。消えるわけがない。

商業イラストレーターとしてあってはならない事だ。法的な責任もかかってくる。
何より、信じてくれたクライアントやファンに対する重大な裏切り行為だ。
この点を踏まえるだけでも、氏の擁護は無理ではないか。そういう意味で、私は感情的に氏を擁護している人とは仲良くなれそうにない。当然ながら、氏の絵も、絵に対する姿勢も嫌いだ。

ファンは残念な事だろう。中には勿論、「あの人の絵が好きだった自分を否定されている」ように感じて、自分がみじめに思えて擁護に走るという事もあるだろう。けれどそれでは自分の心も救われないし、氏のためにもならない。同様に後ろめたいことをしている同業者なのだとしたら、もうそれは知った事じゃない。

Blueskyでも語ったとおり、「電車内スケッチ」「街で見かけたこんな人」として、勝手に見ず知らずの他人をスケッチして、しかもネットに投稿する事自体が嫌いだ。なぜなら、描かれた人を何一つ尊重していないからだ。盗撮にも近いとも思う。
だから私は知っている人しか模写していないし、投稿する際は出典を明記する。デッサン練習をしていた時も、大半は自画像を描いていたのもそれでだ。自分の姿なら、自分が許可すればいいからだ。投稿しているものに静物画が多いのもそういう理由である。

時代が進んだから云々ではない。「描かせて貰う前に承諾を得る」。人として最低限の倫理観の話ではないのだろうか。

呟き

母の書棚にはアガサ・クリスティとコナン・ドイル、そして松本清張と遠藤周作の著書がある。活字中毒と言ってよかった私も当然それらを読んだ。が、松本清張だけは手付かずだった。

昨日、NHK ONEで「未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件」を見た。ドラマは当然脚色されているとはいえ、松本清張の姿勢には好感を持ち、ふと母が著作を好きなのを思い出した。曰く「考えさせられる内容だからすっきり解決するわけじゃない分もやもや感が残るけど、それが他のミステリーと一線を画していて面白い」との事。
この感想からすると、アガサ・クリスティの著作もそれに似ていると私は思う。クリスティの場合は、殆ど割とすっきり見せてくれるので、もやもやした気持ちにはならないが。

というところで、逆に、好みで無かった書籍を思い出した。横溝正史の「獄門島」だ。
横溝正史は金田一耕助ものが時々テレビドラマで放映され、時々見ていた。しかしいまいち好きになれないままだった。
ネットの知人さんが横溝正史が好きというので、ふと「原作なら面白いと思うかもしれない」と「獄門島」を手に取った、これがだめだった。

文学ではよくある話で珍しくもなんともないが、女性という存在が単なる舞台装置になっているのだ。お人形さんのように意思を持たず、強いて言えばグロテスクに都合よく誇張されたものだけを持っている。容姿然り、感情然り。
前述の通り文学やらフィクションには多かれ少なかれこういったものが存在するが、それでも作家によって色は違う。横溝正史は「獄門島」一つとってもかなり私にとって無理だったし、きっとそういう思想の持ち主だろうので、他の著作も合わないだろう。
そして困った事に、影響を受けた作家は現代にも少なからず存在し、彼らによってまた、こういう「お作法」が受け継がれている。小説でも、漫画でも、映画でも。

私が小説執筆を再開し、投稿サイトでの投稿を始めたのも、こうした女性像に対する抵抗感からだった。小説だけの話でもない。絵でも漫画でも何でも、私のあらゆる表現において「舞台装置ではない等身大の女性」を描きたいと思っている。幸い、仕事でもゲーム業界というのはそういう事を実現し易い。
もっと言えば、小さい頃読んでいたフィクションにおいて「私(子ども)はこんなに聞き分けがよくない」という反発もあって、だからストーリー漫画を描き始めたという過去の経緯もある。漫画を描いていたのは親友に影響されてのコミュニケーション手段としてだが、ストーリー漫画を始めたのは自主的で、こういう経緯からだ。世の出来事とフィクションへ常に不満と疑問を持っていた。自分の心を癒すためだった。
そのため小さい頃から「大人も昔子どもだったのに、どうして現実味のない子どもキャラクターを作るんだろう。昔の事を忘れているのかな。私もいつか大人になったら、子どもだった頃の事を忘れるのかもしれない。忘れないようにずっと覚えておこう」と強く思った思い出もある。

フィクションはフィクションなので「こんな人おらんやろ」ではある。けれども「こんな男性いない」より圧倒的に「こんな女性いない」「こんな子どもいない」の方が多い不均衡さがある。この謎を解き明かすべくアマゾンの奥地に行くわけにもいかないので、日々色々考えながら、作品に反映させていければと思う。畳む

呟き

「嫌な情報を無視して、SNSでは自分の本分たる作品しか出さないのがスマートな作家」と、いう言説はクリエイター内でよく言われる。見てくれる人達側の「作家は余計な自我を出すな」と、少し似ている。そしてこれらは、一面的には正しい。

ただ、一つ「嫌な情報を無視」する問題点がある。それは世間に疎くなる事。世間に疎くなると、自分の中の思想も膨らまない。思想が膨らまないと、作品は豊かにならない。
作品とは思想を凝縮したものなので、思想も思考も無ければ中身のないものしか出ない。

「では嫌な情報は取りながら、表で物申す事をしなければよい」という話にもなる。どっこい、Sora2の騒動とOpenAI側の対応からしても、SNSで騒ぐ事は案外効果的だと証明されている節がある。内々に動いていればいいという話でもない。
任天堂は既にロビイングしているようだが、それが出来るのは巨大資本がある組織でしかない。個人のクリエイターは、SNSで騒いで、騒ぎを大きくした方が、戦い方としては正しい。
何しろネットやSNSというものは、後ろ盾のない個人に与えられた数少ない「力」だからだ。
※10/06追記:任天堂から公式に声明が出た。ロビイングしている云々はデマだそうだ。


この視点からすると「無視して」「自我を出すな」などの言説は「余計な事を喋って騒がれると都合が悪い側」に利用される事もあるため、正しくなくなる。
強いて言えば「言い方には気を付けて」くらいだろう。それでも結局自分の言いたい事を素直に言えているのなら、そこまで気にする必要もない。

呟き

「悪魔城ドラキュラ 月下の覚醒」観てきた事はBlueskyで呟いたとおり、数日頭いっぱいになる事はなかろうと言ったものの、この時間でも頭の中で反芻して一人で口角上げています。iTunesでサントラも販売されていたので買いました聴いてます。通販でグッズもしっかりぽちりましたが、やっぱり円盤買わないと駄目だな……。

初報時点で永久輝せあさんのアルカードがアルカードである事は言われていたとおりなんだけど、輝月ゆうまさんの伯爵も伯爵なんですよ。全国イケオジ大好き協会会員としても納得のイケオジですありがとうございます。

今日までの疲れを癒し、明日に希望を持って生きる活力になるのが創作作品だと思っていて、そうでありたいと思いつつ仕事でも趣味でも描いたり書いたりしている身として、まさしくそれを体現した舞台だったなと思いました。
中学生の頃修学旅行で宝塚観劇が予定に組まれていて、演目は「風と共に去りぬ」でした。観る前は私も含めて皆「宝塚か~」って侮ってるんだけど、観た後全員と言っていいほど目キラキラして劇場から出てくる。それがヅカ。特に女子は数日間その事ばっかり話していた懐かしい記憶も蘇りました。

「愛, Love Revue!」で男役の皆様を見つつ「女性なんだよな…?」と終始頭の中がバグっていました。このかっこよさを何と言えばいいのやら。ただの固定観念や一方的な理想化とも違うんだよな…。わからない。

東京での知人さん達は私と同様、宝塚ファンというよりゲームファンな方が多く(それはそう)、その皆様が観劇後口をそろえて「良かった」と仰っていたとおり大満足でした。が、その分ロスが大きい。やっぱり円盤買わないと駄目だな……(二回目)。

東京ゲームショウに行った後と同じく、さ~仕事頑張らなきゃね!って思いました。

呟き