美術系の専門教育を受けていないのもあって、私自身はトレースというもの自体忌避している。というのも、小学生の頃私も見栄を張って絵を上手く見せようとして漫画の絵をトレースした事があった。すると早速皆に突っ込まれて恥ずかしい思いをした上、やっていてちっとも楽しくなかったので、そこで止めた。何より、私が小さい頃から自分の絵で嫌いな部分が「動きが感じられない硬さ」にあったからだ。ただトレースしてしまうと、そこには硬さしか残らない。一方、3Dのポージング人形をなぞるという手法がある。これに関して言えば権利問題はクリアされているので、フリー素材なり自前のモデルなりをなぞるのは問題ない。ただし、実際やっている人が現場にいた時、「こりゃだめだ」と思った。基礎が無いと、人体のウェイトというものがわかっていない絵になりがちのだ。きちんと基礎があり、殆どモデルを無視して、たたき台的に描く人はそうでもない。しかし、モデルに頼り切って描く人は、3DCG独特の違和感を二次元に修正して落とし込む事ができず、実在感がまるでない絵になってしまう。簡単に言えば、立体感が無くなる。そして今回江口寿史氏の絵を見ていて思ったのが、手があまり描けていない事だった。こんな事を言うのは気が引けるが、手抜き的にトレースする人と、生成AIは、手があまり上手に描けないという変な共通点があると感じた。模写をする際、出来れば実物を見ながらがいいと言ったのはこれだ。デフォルメ率がどうなろうと、基礎さえあれば現実味のある、重みを感じられる絵を描く事が出来る。しかし、模写の段階でこの基礎の立体感把握が出来ていないと、何の応用も効かなくなる。それにしても、無断で他人を素材扱いするというのは一番駄目だと思った。氏を擁護している人は「画力はある」「個性はある」と言う。一定の画力は確かにあるだろう。けれど手など細部が描けていない点についてはどう弁明するのだろう。個性はあるに決まっている。どう足掻いても人はそこから逃れたくても逃れられない宿命にある。そしてそれは技巧の高さとイコールではない。生まれたばかりの時から既に与えられたもの、それが個性だ。消えるわけがない。商業イラストレーターとしてあってはならない事だ。法的な責任もかかってくる。何より、信じてくれたクライアントやファンに対する重大な裏切り行為だ。この点を踏まえるだけでも、氏の擁護は無理ではないか。そういう意味で、私は感情的に氏を擁護している人とは仲良くなれそうにない。当然ながら、氏の絵も、絵に対する姿勢も嫌いだ。ファンは残念な事だろう。中には勿論、「あの人の絵が好きだった自分を否定されている」ように感じて、自分がみじめに思えて擁護に走るという事もあるだろう。けれどそれでは自分の心も救われないし、氏のためにもならない。同様に後ろめたいことをしている同業者なのだとしたら、もうそれは知った事じゃない。Blueskyでも語ったとおり、「電車内スケッチ」「街で見かけたこんな人」として、勝手に見ず知らずの他人をスケッチして、しかもネットに投稿する事自体が嫌いだ。なぜなら、描かれた人を何一つ尊重していないからだ。盗撮にも近いとも思う。だから私は知っている人しか模写していないし、投稿する際は出典を明記する。デッサン練習をしていた時も、大半は自画像を描いていたのもそれでだ。自分の姿なら、自分が許可すればいいからだ。投稿しているものに静物画が多いのもそういう理由である。時代が進んだから云々ではない。「描かせて貰う前に承諾を得る」。人として最低限の倫理観の話ではないのだろうか。 2025.10.7(Tue) 23:59:57 呟き edit
というのも、小学生の頃私も見栄を張って絵を上手く見せようとして漫画の絵をトレースした事があった。すると早速皆に突っ込まれて恥ずかしい思いをした上、やっていてちっとも楽しくなかったので、そこで止めた。
何より、私が小さい頃から自分の絵で嫌いな部分が「動きが感じられない硬さ」にあったからだ。ただトレースしてしまうと、そこには硬さしか残らない。
一方、3Dのポージング人形をなぞるという手法がある。これに関して言えば権利問題はクリアされているので、フリー素材なり自前のモデルなりをなぞるのは問題ない。ただし、実際やっている人が現場にいた時、「こりゃだめだ」と思った。
基礎が無いと、人体のウェイトというものがわかっていない絵になりがちのだ。
きちんと基礎があり、殆どモデルを無視して、たたき台的に描く人はそうでもない。しかし、モデルに頼り切って描く人は、3DCG独特の違和感を二次元に修正して落とし込む事ができず、実在感がまるでない絵になってしまう。簡単に言えば、立体感が無くなる。
そして今回江口寿史氏の絵を見ていて思ったのが、手があまり描けていない事だった。
こんな事を言うのは気が引けるが、手抜き的にトレースする人と、生成AIは、手があまり上手に描けないという変な共通点があると感じた。
模写をする際、出来れば実物を見ながらがいいと言ったのはこれだ。
デフォルメ率がどうなろうと、基礎さえあれば現実味のある、重みを感じられる絵を描く事が出来る。しかし、模写の段階でこの基礎の立体感把握が出来ていないと、何の応用も効かなくなる。
それにしても、無断で他人を素材扱いするというのは一番駄目だと思った。
氏を擁護している人は「画力はある」「個性はある」と言う。
一定の画力は確かにあるだろう。けれど手など細部が描けていない点についてはどう弁明するのだろう。
個性はあるに決まっている。どう足掻いても人はそこから逃れたくても逃れられない宿命にある。そしてそれは技巧の高さとイコールではない。生まれたばかりの時から既に与えられたもの、それが個性だ。消えるわけがない。
商業イラストレーターとしてあってはならない事だ。法的な責任もかかってくる。
何より、信じてくれたクライアントやファンに対する重大な裏切り行為だ。
この点を踏まえるだけでも、氏の擁護は無理ではないか。そういう意味で、私は感情的に氏を擁護している人とは仲良くなれそうにない。当然ながら、氏の絵も、絵に対する姿勢も嫌いだ。
ファンは残念な事だろう。中には勿論、「あの人の絵が好きだった自分を否定されている」ように感じて、自分がみじめに思えて擁護に走るという事もあるだろう。けれどそれでは自分の心も救われないし、氏のためにもならない。同様に後ろめたいことをしている同業者なのだとしたら、もうそれは知った事じゃない。
Blueskyでも語ったとおり、「電車内スケッチ」「街で見かけたこんな人」として、勝手に見ず知らずの他人をスケッチして、しかもネットに投稿する事自体が嫌いだ。なぜなら、描かれた人を何一つ尊重していないからだ。盗撮にも近いとも思う。
だから私は知っている人しか模写していないし、投稿する際は出典を明記する。デッサン練習をしていた時も、大半は自画像を描いていたのもそれでだ。自分の姿なら、自分が許可すればいいからだ。投稿しているものに静物画が多いのもそういう理由である。
時代が進んだから云々ではない。「描かせて貰う前に承諾を得る」。人として最低限の倫理観の話ではないのだろうか。